声楽初学者が参考にすべきソプラノ Christiane Oelze



Christiane Oelze(クリスティアーネ エルツェ)は1963年ドイツ生まれのソプラノ歌手
オペラよりはコンサート歌手として活躍していたソプラノで、リリコレッジェーロの声質、
ということ以外にこの人の歌を言葉で表すのは難しい。

今回あえてタイトルに「声楽初学者が参考にすべき」と付けたのはそこが理由である。
歌を勉強していると、大抵有名歌手や自分の声質に近い歌手の演奏を参考として聴いたり、
歌唱フォームや発音を真似してみたりするものだが、
まず、一流歌手は生まれながらに持っている楽器が常人離れしていることが殆どであるという前提を忘れてはならない。

それ故に、エルツェという歌手は歌そのものに個性が殆どなく、
声もとびきりの美声という訳でもなく、
超絶技巧や高音が得意という訳でもなく、
声量もどちらかと言えば少ない方だ。
そう、エルツェは正しいポジションで歌っているだけなのである。

それ以上は響きの豊かさや、劇的な言葉の強調を追い求めることもしない。

 

 

 

フォーレ レクイエム(全曲)

(21:50~)Pie Jesu

歌詞は

「Pie Jesu, Dómine, dona eis réquiem,sempiternam requiem」

「慈愛深いイエスよ、主よ与えてください、彼らに、安息を、いつまでも続く安息を。」

だけなので聞き取るのも難しくない。

 

 

あまり癖のないソプラノと思われているボニーとの比較

バーバラ ボニー

まず声以上に即座に分かるのは発音で、「ré」は閉口母音なので、
ボニーのように完全な日本語の”え”ではなく、エルツェの”i”に近い”e”の発音が正解。

声の面では曲も曲だけに少し分り難いかもしれないが、
実はボニーは正しいポジションにハマっていない。
時々明らかに鼻に掛かることがあるので、気づく方もいると思うが、
常に声が揺れている。特に3:00辺りからの演奏は顕著に響きがブレているのがわかる。
一方エルツェの演奏は「eis」という単語を言い直す時にややポジションが落ちる感はあるが、
それ以外は無駄なヴィブラートもなく、低音も真っすぐ美しく伸びている。
口の開け方を見ても、必要最小限の動きで、極端なディナーミクなどなくても、
真っすぐ響かせるだけでこれだけの演奏になることを示している。

 

 

 

モーツァルト 魔笛 ach ich fühl’s

これだけ無駄なことを何もしない演奏はそうない。
モーツァルトの時代にはロマン派のようなアダージョの音楽はなかったので、
このアリアが現在一般的に歌われるようなスローテンポで、
高音でテヌートを掛けたり、比較的自由にテンポを揺らすというのは実は不自然である。

 

 

ダムラウの演奏と比較するとよくわかるだろう

ディアーナ ダムラウ

エルツェを聴いた後でダムラウを聴くと、こんなくどい演奏をしていたのか?
と思う方もいるだろう。

 

 

更にポップと比較してもエルツェの演奏の秀逸さは目を(耳を)引く

ポップも低音で響きが落ちてしまっているし、エルツェより重い声になっている。
そのため言葉が飛んでいないが、エルツェの低音は全く太くないし当然重くもないし、
どう聴いても声量が特別ある訳でもないのだが言葉はしっかり飛んでいる。
大事なのは声量ではなく響きの高さであるということがここでも証明されていると言える。

 

 



 

 

モンテヴェルディ 聖母マリアの夕べの祈り から二重唱
メゾソプラノ  Ibolya Verebics

ここまで日本人的な響きを理想化したようなソプラノ歌手はそういないと思う。
世間一般にいう「深い響き」というのがどれほど誤解を生んでいることか?
エルツェの声を「深い響き」だと思う人はいないだろうが、逆に「浅い」と非難する人はあまりいないだろう。
だからこそ、日本人の声楽初学者にとっても最高の教科書となる歌手であると考えたのである。

 

 

 

シューベルト Gretchen am Spinnrade

ここまでエルツェの良い点を挙げてきたが、
このシューベルトでは、彼女の歌唱の限界が見える。
それは即ち、咽頭、口腔の共鳴をあまり使わず、響きだけで歌うことの表現の限界である。

シューベルトの中でも劇的な表現を必要とする歌曲は、ただ美しい響きで歌うだけでは音楽に負けてしまう。

 

 

メゾソプラノのフィンクと比較するとエルツェに足りないものがわかるだろう

ベルナルダ フィンク

フィンクも決して響きを乱すことなく、フォルテでも決して乱暴にならない端正な歌唱をするが、
響きの深さ故に言葉に重さが出る。
ここでも強調しておくが、深さとは声の太さやデカさとは違う!
声楽を習い始めると、絶対と言って良いほど、声の深さの重要性を最初に説かれるのだが、
順序が逆で、正しいポジションで響きを安定して得られるようになってから深さを求めていかなければ意味がない。

原チャリも運転できないのに、大型車両を運転しようとするようなもので、これこそ自殺行為である。
実際自分の喉を傷めつけるのだから自傷行為ではあるのだが・・・。

 

このように、クリスティアーネ エルツェという歌手は、
特筆すべき楽器を持っていた訳ではないが、それでもこれだけの歌を歌い、
曲によっては古今のスター歌手より立派な演奏をしてみせたのである。
こういう人の演奏がもっと幅広く支持されるようになることを望むばかりだ。

 

 

 

CD

 

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